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【紹介文】 元祖アイドルホース 『怪物くん』。こう呼ばれ、ハイセイコーは競馬ファン以外の多くの人達からも愛された。 彼は、「競馬」を一部のファンの娯楽から、大衆の娯楽へと押し上げた立て役者である。 単勝支持率 66.7% 大井時代は、6戦6勝。合計着差は、56馬身というまさに『怪物』の強さだった。 その後中央入りし、NHKカップ(当時:東京,芝,2000m)まで4連勝。大井から数えると、 実に10連勝である。その間、「皐月賞」も優勝している。 そして、満を持してのダービーである。このときのハイセイコーの単勝支持率は、66.7%。 未だこの記録は、破られていない。 ハイセイコー・ヤブレタリ… 単勝支持率66.7%のダービーが終わった時、訪れたものは「歓声」ではなく、「静寂」だった。 「あの」ハイセイコーが敗れたのである。 中央初戦の「弥生賞」において、約6馬身半の着差をつけたタケホープの3着であった。 この後、ハイセイコーの永遠のライバル、タケホープとハイセイコーの戦いが始まる。 ライバル・タケホープ タケホープとのレース数は、この後、有馬記念前までに6戦にも及ぶ。 しかしこの間、G1レースにおいては、タケホープの前を走る事は無かった。 この間、初めて2番人気となった宝塚記念では、その鬱憤を晴らすかの様なレコード勝ちを果たした。しかし、そのレースにタケホープの姿は無かった。 どちらもスーパーホース。 ただ、ハイセイコーは中距離馬、タケホープは長距離馬。 この結果は、これだけの事なのかもしれない。 堂々の2着・さらばハイセイコー そして、最後の「有馬記念」。ハイセイコーは、3番人気。タケホープは1番人気。ゴール直前のラジオの実況はこうだった。 「ハイセイコー、タケホープ、ハイセイコー、タケホープ、・・・」。 タニノチカラの5馬身後の事であったが・・・。 結果は、ハイセイコー2着、タケホープ3着。 ダービー以来、ここ大一番で負け続けていたタケホープに勝ったのである。 堂々の2着である。 時は、オイルショック。高度成長期の終わりを告げられた日本。その中で、地方から上がって来た、「不敗神話の『怪物くん』」。 ハイセイコーが背負っていたのは、「人気」ではなく、「時代」だったのかもしれない。 |