マルゼンスキー

★ マルゼンスキー ★
早来 牡(鹿毛)1974年生 美浦・本郷重厩舎
【競走成績】 8戦 8勝
【ニックネーム】 『スーパーカー』,
  『幻のダービー馬』
【主な勝鞍】 朝日杯3歳S,日本短波賞
【主な産駒】 サクラチヨノオー etc.

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【紹介文】

  生涯着差61馬身
 「生涯着差61馬身」。マルゼンスキー、彼を最も象徴する言葉である。

 彼のレースでの最後の直線は、通常のものとは違った。カメラアングルが近寄れないのである。
8戦 8勝。内、6レースが7馬身以上の着差といえば、その光景を想像するに難しくない。 しかも、そのレースの大半が6,7分の出来で臨んだという。
その強さ故、ほかの馬達がレースを回避しレース不成立となるほどだった。

  夢と現実・・・
 しかし、その彼のクラシックへの道を阻んだもの、それは、『持ち込み馬』だった。 この時代(S46.6生〜S59)、持ち込み馬にクラシック出走の権利は与えられなかった。
マルゼンスキーの主戦ジョッキー、中野渡騎手のこの言葉が耳から離れない。
「大外でもいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔はしません。だからダービーに出させてくれ。 この馬の能力を確かめたいだけなんだ。」

  託された夢
 この鬱憤を晴らすかの様に、日本短波賞で、後の菊花賞馬プレストウコウに7馬身の圧勝。
しかし、短距離S後、屈腱炎のため引退。

 クラシック制覇の夢は産駒達に委ねられ、サクラチヨノオーがダービーを、レオダーバン、ホリスキー が菊花賞を、また、ブルードメアサイアー(母父)として、ウィニングチケット、スペシャルウィークが ダービーを制覇している。

 その後、持ち込み馬のクラシック等の出走制限は1984年に廃止、次いで、マル外には2000年から 順次制限付き廃止となる。


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