|
【紹介文】 生涯着差61馬身 「生涯着差61馬身」。マルゼンスキー、彼を最も象徴する言葉である。 彼のレースでの最後の直線は、通常のものとは違った。カメラアングルが近寄れないのである。 8戦 8勝。内、6レースが7馬身以上の着差といえば、その光景を想像するに難しくない。 しかも、そのレースの大半が6,7分の出来で臨んだという。 その強さ故、ほかの馬達がレースを回避しレース不成立となるほどだった。 夢と現実・・・ しかし、その彼のクラシックへの道を阻んだもの、それは、『持ち込み馬』だった。 この時代(S46.6生〜S59)、持ち込み馬にクラシック出走の権利は与えられなかった。 マルゼンスキーの主戦ジョッキー、中野渡騎手のこの言葉が耳から離れない。 「大外でもいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔はしません。だからダービーに出させてくれ。 この馬の能力を確かめたいだけなんだ。」 託された夢 この鬱憤を晴らすかの様に、日本短波賞で、後の菊花賞馬プレストウコウに7馬身の圧勝。 しかし、短距離S後、屈腱炎のため引退。 クラシック制覇の夢は産駒達に委ねられ、サクラチヨノオーがダービーを、レオダーバン、ホリスキー が菊花賞を、また、ブルードメアサイアー(母父)として、ウィニングチケット、スペシャルウィークが ダービーを制覇している。 その後、持ち込み馬のクラシック等の出走制限は1984年に廃止、次いで、マル外には2000年から 順次制限付き廃止となる。 |